行政犬猫殺処分の定義

動物本体の苦痛からの解放を目的に行われる安楽死(安楽殺)以外は
すべて人間側の都合での「殺処分(致死処分)」である

動物自身が苦しんでいて、治療の術がない場合 ➡安楽死(安楽殺)

傷病瀕死の動物に手当も何もせず死亡した場合➡放置死
(手当か安楽死をすべきで何もしないのはネグレクト型動物虐待)
行政で殺処分数を減らすために、今後放置死が増える(勝手に死ぬのを待つ)と容易に想像できるので
未然に防ぐために、苦痛から解放するための安楽殺の数を殺処分数とは別に定義しなければならない。
「殺してないもんー勝手に死んだんだもんーだから殺処分ゼロ♪」っていう姿が容易に想像でき・・・・
そんな非人道的な考え方をする人がいるのかって世の中を恨みたくなるけど意外と結構いるんだよね。
何が動物福祉にかなうのか、ちゃんと考えて欲しい。

手当をしたにもかかわらずの死亡➡自然死

攻撃性のある動物(殺処分とするほど矯正不可能と判断できる人間は行政にはいない)➡殺処分
↑これを安楽死とか言って正当化しないように(大事なとこ)
ちなみに猫は攻撃性があってもそれはそれで野性味のあるペットとして何ら問題ないし
攻撃してきたって怪我の程度はしれてるので殺処分の理由にはならないよね。
ヒトの生命身体の安全の確保とかそんな大それた攻撃しないし(´・ω・`)
犬はだいぶ危険だと思うけど。

老齢傷病等、治療ができる場合、動物が苦痛を感じているとは言い難い場合➡殺処分
野良猫、野良犬、ノネコ、ノイヌ ➡殺処分
多頭飼育等で公衆衛生上問題のある場合➡殺処分
(役所での分類をこうすべきという話であって、殺処分をするという意味ではありません)

個人的見解ですが
思ったところをざざっと書くと
殺処分 と
安楽殺 と
自然死 を定義して
放置死 はゼロに。あってはならない死であるとしないといけないと思うよね。
放置死 今はきっと自然死、保管中死亡とかっていう分類だろうけど
放置死は可哀想だわ。そんな死に方アタシはやだな。
ただこの分類だと安楽殺に計上しようとすぐに諦めるパターンが少し問題だけど
そこはもう日本人の死生観と良心にかけるしかないよね。

悪い見本
・殺処分ゼロ ➡犬及び猫の殺処分
(人の生命及び身体の安全の確保,公衆衛生の向上等のためにやむを得ずなされる殺処分を除く。)
がなくなることをいう。

悪い見本の県は、これでも進歩してるんだろうとは思う。
こんな定義になるってことは
健康で何の問題も無い犬猫が未だに殺処分されているってことの裏返しだよね。
悪い見本が日本中にまん延するのだけは避けて欲しい。
そして北海道は
健康で何の問題も無い犬猫が譲渡されるのは当たり前の時代になりました。
良かった良かった。
でもその後ね、それ以外をどう頑張るかってところに来てますが
もちろんそれ以外を作り出さないってのが一番なんだけど
すでに生きてる分をね、誰が見るのって話ですよ。

役所は、殺処分をゼロにするのではなく
苦しんでいる動物は適切に安楽殺を行い助かる動物は助ける。
その分類を率直に公表して理解を得ることが必要かと。
殺処分ゼロゼロって、1でも2でもなくゼロにこだわる変な人たちは
動物の気持ちになってよ〜く考えて欲しい。
結果が歪むんだよ、結局。

数年前、凪たんと小僧はなんとなく仲良しでした。
凪たんのお腹の毛はふかふか〜

秋だねぇ・・・。